「権田公園」への入口は奥まっていて少々分かりにくいですが、上の写真に写る良弁滝の石碑を目印に県道から入っていくと分かりやすいです。園内には権田夫妻のお墓と小さな池のほか、東屋とベンチがありました。遊具などは無く公園というよりは、墓苑と言った感じで厳かな雰囲気です。
ここで「権田 直助」について少し調べてみました。
1809年:1月13日 埼玉県入間郡に漢方医(父)の長男として生まれる。
1827年:妻「菊子」と結婚し、医学を学ぶため江戸へ。
1841年:師事していた「平田篤胤(ひらたあつたね)」が幕府批判により江戸を離れ、権田氏も帰郷。
1862年:医業を弟子に託し、尊王攘夷運動に傾倒する。
1872年:国学の研究に専念する。
1873年:大山阿夫利神社の神職に就く。
1883年:教導職の最高位(大教正)に就く。
1887年:風邪をこじらせ79歳で亡くなる。
大山が信仰の山として現代も親しまれている陰には、「権田 直助」の活躍があったからだと思います。明治政府の廃仏毀釈に始まり、神仏分離や修験道廃止等の政策によって、大山も大山寺と阿夫利神社に分離され、修験道の廃止により廃れ始めた大山詣。
これを何とか存続復活させようと尽力し、大山に学びの場とし寮を造り弟子を集め導いていったのが「権田 直助」なのです。