神奈川県座間市栗原にある「芹沢公園」の園内に、戦時中に造られた地下壕があるというのを知り訪れてみました。この公園は「かながわの公園50選」にも選定されている大きな公園で、名前のとおり沢状の地形を利用して造られていて、その西側の崖状地形の斜面に地下壕となる横穴が掘られています。今回の訪問は、地下壕に近い公園南側の入口から入園しました。
入ってすぐの所にある南管理棟の向かいには、公園案内図が設置されていました。しかしこの案内図には地下壕の記載はありませんでしたが、案内図中に記載された芝生広場と植林地の位置に地下壕がある事を事前の下調べで把握済みでした。
目的の地下壕がある植林地になっている崖へ向かうため、木々に囲まれた心地よい遊歩道を歩いていきます。
さっそく1つ目の地下壕の入口を発見しました。崩落の危険があるためでしょうか、地下壕開口部の周囲は工事用の柵で囲われていていました。
柵の外側から地下壕の入口の写真を撮りました。残念ながら暗くて地下壕の中を見る事は出来ませんでした。
そばには「芹沢の地下壕」についてを説明した看板が設置されていました。記載されていたことを抜粋すると、「雷電」という戦闘機を製造するために1944年に建設された「高座海軍工廠」でしたが、激しさを増してゆく空襲を避けるため目久尻川や芹沢川の谷合の崖面に無数の地下壕が作られたそうです。この芹沢公園にある地下壕は地下工場として稼働し、トンネルは関東ローム層を人力で堀抜いたもので、東西南北に張り巡らされたトンネル網の総延長は1500mにも達するようです。戦後は一時期マッシュルームの栽培などに利用されていたという事も記載されていました。
続いて2つ目の地下壕の入口へ向かうと、こちらも厳重な柵が設置してあります。柵の中に入る事は出来ませんが、柵の前まで行き地下壕の中を柵の格子越しに覗く事ができます。
地下壕の内部はライトアップされていて、写真のように奥まで見通す事ができます。かまぼこ型の天井をした長いトンネル状に掘られた地下壕の表面は、ノミで削って掘られた痕跡がしっかりと残っていました。以前はこの地下壕内の白い照明が当たっている位置に「雷電」の小型模型が展示されていたのですが、現在は撤去されてしまったのか見当たりませんでした。
続いて3つ目の地下壕の入口へ向かうと、こちらも先ほどと同じような柵が設置されています。
こちらもライトアップされ幻想的な雰囲気でした。先ほどの地下壕でも確認できるのですが、掘られた地下壕の壁面に白い帯状の地層が確認できます。これは「箱根東京軽石層」といわれるもので、約6万6千年前に起きた箱根火山の噴火の際に、南関東一帯に堆積した軽石を主体とした火山灰の地層です。
さらに崖沿いに北上すると、崖の底部に堆積した土と崖の境界に、地下壕の開口部を発見しました。こちらには柵やバリケードが無く、開口部のそばまで近づく事ができました。
地下壕への開口部は、這ってなら入って行けそうな広さをしていて足跡のような痕跡も幾つか残っていましたが、崩落の危険がありそうなので入坑はやめました。なにしろ地下壕ができてから長い年月が経っていて坑道の強度に不安を感じる事や、地下壕の上は芹沢公園の芝生広場として整備されているので、土地造成の際に重機などが乗り入れていた可能性もあり、地下壕の耐久性に不安を感じたのが入坑しなかった理由です。
こちらが地下壕の地上部にあたる場所に造られた芝生広場です。広々とした芝生の広場となっていて、周囲はジョギングコースとなっていました。
最後になりますが、この「芹沢の地下壕」について文献等で調べてみたところ次のような事が分かりました。この芹沢公園の一帯は戦時中には、高座海軍工廠の第三工場区と呼ばれたエリアに位置し、この地下壕は主に「雷電」という航空機の部品を作っていた地下工場でした。地下壕の構造は、東西方向に掘られた主坑道が7本あり各坑道の長さは100m~150mほどで、その主坑道は南端の一本を除いて各坑道どうしを繋ぐバイパスのような副坑道が掘られ繋がっています。また、地下壕の北側エリアに位置する坑道には、工作機械を設置していたと思われるコンクリート製の基礎が幾つか残っているようです。コンクリートの形状が違う事から、異なる工作機器が複数設置されていたのでしょうね。