三浦市三崎町小網代の油壷湾に面した場所に設置されている「油壷験潮場」という所に訪れてみました。この験潮場というのは、潮位を自動的に計測して海面の平均を求めて、陸地の標高の基準を設定したり地殻の変動を調べる重要な施設です。現在でも、この「油壷験潮場」から定期的に水準測量を実施し、東京都千代田区にある「日本水準原点」の標高値を点検しています。
「油壷験潮場」へ向かうには、県道216号油壷線沿いに位置する写真の場所から、油壷湾へ降りるコンクリート製の階段を下って行くとたどり着く事ができます。県道の脇には「油壷験潮場入口」と記載された看板が設置されているので、それを目印にすると分かりやすいです。
前半の階段はゆるい傾斜ですが、油壷湾にでる後半の階段は結構傾斜がきついです。
階段をくだりきると見えてくる建物が「油壷験潮場」です。こちらの建物は1995年(平成7年)に新らたに建てられた験潮場で、現在も稼働している現役の施設です。
建物の入口脇には「油壷験潮場」と彫刻された御影石の石板がはめ込まれ、そのそばには、この施設について説明した説明看板が設置されていました。内容は “油壷験潮場 この建物の中には、海面の上がり下がりを自動的に精密に記録する験潮儀が設置されています。この記録は、高さの基準をきめたり土地の変動を調べるために非常に大切な資料となります。” と記載されていました。
こちらのレンガ造りの建物は、1894年(明治27)に建てられた「旧 油壷験潮場」です。現存する験潮所としては、1893年(明治26年)に建てられた「細島験潮場(宮崎県日向市)」に次いで2番目に古い験潮場です。縦長の建屋と三角屋根がレトロで風格のある雰囲気を醸し出しています。
レンガ造りの建屋の入口脇には木製の看板がさがっていました。劣化が進み文字が薄くなっていましたが、僅かに残っていた文字から “建設省国土地理院 油壷験潮場” と読め、建設省という中央省庁再編前のなつかしい機関名が刻まれていました。ちなみにレンガは、イギリス積みで積み上げられていました。
「旧 油壷験潮場」の建屋前には、土木学会選奨土木遺産の記念碑が設置されていました。
験潮場の東側にある朽ちかけた桟橋から、新旧2棟の建屋を撮影しました。やはりレンガ造りの「旧 油壷験潮場」は映えますね。そして、旧験潮場と新験潮場の間には縦長の石柱が建っているのが見えます。
この石柱は量水標石柱というもので、中央に溝が掘られていて当時はここに目盛りを刻んだ木製の板がはめ込まれていて海面高を計っていたそうです。現在は石柱の基礎部分が海面から露出してしまっていますが、これは関東大震災の地殻変動により、この辺りの地盤が1.4mほど隆起してしまったためです。
県道に戻るために降りてきた階段を戻る時に発見した水準点の石柱。おそらく油壷験潮場の周辺にあるはずの附属水準点(附2)だと思われます。
こちらは県道から験潮所までの階段の中腹辺りにある基準水準点(基26)です。柵に囲まれ厳重に保護されていました。柵に掲示された案内板によると、この水準点は1930年(昭和5年)に設置され地上標と地中標の2つあり、標高は16.6905mということでした。